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2015年3月16日

Bloodborne -Demon's Souls-

  Bloodborneの世界観を探る上で過去の作品を手繰るのは安直かもしれないが、発売前の今はわずかでも材料が欲しい。その世界を理解するヒントをデモンズソウルに求めてみよう。またこの記事は前回の記事を踏まえて書いた部分もある。つい先日投稿したものなので未読の方はぜひともそちらから読んでほしい。

※ 今回もαテストのエリア外動画に加え、プロジェクトビーストのリーク動画とデモンズソウルについても浅からず触れていく。未視聴・未プレイの方はネタバレを含むので注意してほしい。




◇PROJECT BEAST

  まずBloodborneというタイトルがE3で公表されるひと月ほど前、つまり昨年の5月にフロムソフトウェアとSCEジャパンスタジオが手掛けるプロジェクトビーストという作品の画像がリークされた。その画像の暗い世界観に誰もがソウルシリーズの新作と直感したはず。そしてビーストという単語からデモンズソウルとの関わりが囁かれた。デモンズソウルには古い獣という存在がある。

  古い獣ははるか昔から存在し、ひとたび目覚めると色のない濃霧とデーモンを生じさせ世界からソウルを奪う。ソウルとは生物が思考して世界を理解するためのエーテルであり、これを奪われた生物は思考に餓え、世界は正しく理解されずに濃霧に消失する。
  はるか昔、ソウルの業により世界を総べていた古い人たちは、飽くなき探求により獣を目覚めさせ、多くのソウルと世界の過半を失った。古い人たちはまどろむ獣を楔に封じたのち、拡散する世界を取り戻すため要人となる。そして、ソウルの業を禁忌とした。




◇古い獣とタリスマン

  デモンズソウルの世界には魔法と奇跡があり、奇跡の発現にはタリスマンという触媒が必要になる。タリスマンとはお守りのことでその形状は様々だが、意匠を施した円盤状の金属が一般的のようだ。しかしデモンズソウルのタリスマンはそれとはまるで異なるデザインになっている。ここで各作品のタリスマンを比べてみよう。


左から神のタリスマン、獣のタリスマン、ダークソウルのタリスマン、2の銀のタリスマン。

  ダークソウルのタリスマンも特殊な形状で何かを布で巻いたようなデザインだ。銀のタリスマンは一般的な形状だが触媒ではなく擬態の効果を持つアイテムとなっている。2において奇跡の触媒はタリスマンではなく聖鈴に代わった。
  デモンズソウルの聖者ウルベインによるとタリスマンとは神の似姿であるという。そしてデーモンに由来する魔法がはびこったと同時に奇跡もまた見出されたそうだ。呪われた地に授けられたこの奇跡を用いてデーモンを打ち倒せというのが神の意志であると彼は語る。


ウルベインが楔の神殿に造った簡素な祭壇。神のタリスマンが祀られている。

  ウルベインはこの祭壇の前に跪き祈りを捧げている。しかし聖職者に厳しいのがソウルシリーズの世界。彼の崇める神こそがデーモンを生み出す古い獣であり、すべての生物の敵だったのだ。そしてその獣の姿は彼が祀るタリスマンに表れている。


まずは、これがプレイヤーが実際に相対することになる獣の姿。あまりに巨大なためか、その身には植物が根付いている。獣のタリスマンはこの姿を模して作られた。

  神のタリスマンは奇跡を使えるが、獣のタリスマンは奇跡だけでなく魔法も使える。ここに古い獣の本質がある。また古い獣はNPCのセリフでThe Old Oneと呼ばれているので獣ではないとする説もあるようだが、海外版の獣のタリスマンはTalisman of Beastsなので獣であることに間違いはない。


こちらは獣の原初の姿だろうか。その身に植物はなく、形状は神のタリスマンによく似ている。

  二つのタリスマンは見た目は異なるが同一の存在を模して作られた。であるならば無機質で巨大なこの物体もやはり古い獣なのだろう。ウルベインやその弟子たちはこれが獣と知らずに神として崇めている。彼らの敵である獣の似姿をその手に握り、獣に由来する奇跡を頼りに濃霧のボーレタリアを生き抜く。これ以上の皮肉があるだろうか。





  ガスコインが首から提げているものは何だろう。単なるアクセサリかもしれないが彼が身を着飾るとは考えにくい。ここは獣のはびこるヤーナムであり、彼は敬虔さを求められる神父だ。



上のイラストから切り抜き拡大、逆さにして神のタリスマンと比較する。


  Bloodborneの登場人物がタリスマンを持っていても何らおかしなことはない。しかしこの形状はデモンズソウルの神のタリスマンとよく似ている。そして所有者であるガスコインは神父だ。デモンズソウルの信徒たちもタリスマンを身に着け神を信仰している。
  関係性はこれだけではない。ガスコインは「Umbasa」という言葉を口にする。アンバサとはデモンズソウルの神の信徒がことあるごとに唱える祈りの言葉だ。この祈りの言葉をガスコインも唱える。彼は医療教会の人間だ。となれば教会もデモンズソウルの神と同一のものを信仰しているのではないか。ガスコインが持つタリスマンも神の似姿なのだろうか。

  そしてどちらの世界にも存在する獣。デモンズソウルの信徒は神を盲信しているが、教会はそれが獣であることを知っているかもしれない。ヤーナムには古くから獣の病が蔓延しており教会がそれを拡げているのだ。彼らは信徒たちを利用して強大な獣を作り上げ、ソウルの業の顕現を目論んでいるのではないか。ガスコインは獣と化したとき、何を思ったのだろう。彼は、神に近づいたのだろうか。




◇ソウルの業

  ソウルの業とは魔法のことだ。ソウルを自在に操ること及びそれにより得られる恩恵や災厄を業と呼び、その中に魔法が含まれると見るのがより正確かもしれない。要人の説明では古い獣をまどろみに封じればソウルの業は失われるとのこと。裏を返せば獣が存在することにより魔法が使えるということだ。
  現状Bloodborneの世界に魔法が存在するかは不明だ。しかしプロジェクトビーストのリーク動画には魔法を使っていると思われるシーンがいくつかある。


遠くの敵が魔法のようなものを使っている。色からしてダークソウルの闇術のように見える。

こちらも闇術のようなエフェクトだ。

こちらは火球のような魔法が飛んでくるシーン。デモンズソウルに呪術はなく、火球は魔法に分類される。

  リーク動画にはこれらの魔法エフェクトが存在するが、それは開発途上のものだからなのかもしれない。だがこの映像には製品版との共通点があった。二つ上の画像と次の画像を見比べてほしい。


この敵は聖杯ダンジョンの情報公開時に紹介された守り人の祭祀者だ。

  こちらの画像では長い足は見えないがそのフォルムや腹に抱えた頭蓋、大きく窪んだ目が一致している。2枚目の魔法を使う敵が製品版にも登場するのは間違いない。であればこの魔法のような攻撃も使ってくるはずだ。魔法は撤廃となったわけではないのかもしれない。

  だが現状魔法は使えない。ヤーナムに魔法があるのならば狩人は獣狩りに活用するはずだ。ガスコインもタリスマンは手に持たずに首から提げているだけで、奇跡の触媒としてではなく本当にお守りとして身に着けているのだろう。しかしもしも医療教会が獣を生み出そうとしているとして、またその獣がデモンズソウルの古い獣と同質の存在だとしたら。現状魔法の存在が確認できないのは、Bloodborneの世界に魔法がないのではなく、古い獣がいないから魔法が使えないだけとは考えられないだろうか。ストーリーを進めるなかで次第に獣が目覚め、それによりソウルの業が顕現してヤーナムに魔法が溢れる。ソウルの業を禁忌として魔法を失った人間とは違い、古い遺跡で地上とは違う文明をひっそりと受け継いできた守り人の祭祀者たちだけがその業を操れるのかもしれない。


  血の遺志については名称は判明したもののそれが何であるかは分かっていない。海外版ではBlood Echoes(血の共鳴)と呼ばれているが、どちらにしても極めて抽象的な名称だ。そしてそれは敵を倒すことで入手できる。入手時のエフェクトや使者との取引き、武器強化、レベルの上昇などその用途はまさにソウルそのもの。

  ソウルとは、本来我々の内で、ひっそりと漂い、思考の糧となるものです
  努々忘れないでください
  今あなたの知る、力に満ち、即物的なあり様は、
  ソウルの本質とはかけ離れた、デーモンの所業なのだと

  こう語るのはデモンズソウルの要人だ。ソウルは本来、表に出るものではなく内に漂うもの。だが古い獣が現れてからそれを奪うことができるようになった。Bloodborneにおいても同様のことが言えるのではないだろうか。獣が現れ、ソウルが生物の外側に滲み出した。それが血の遺志なのではないか。
  ヤーナムを覆う獣の病は奇しくも主人公が訪れた頃に事態が悪化しているとのこと。それも病の根源が目覚めようとしているからではないだろうか。ヤーナムに血の遺志が表れてからまだ間もない可能性がある。血の遺志や血質、神秘という呼称もBloodoborneの世界ではまだその存在の理解が進んでいないからなのかもしれない。




◇ソウルの本質

  ソウルは生物が思考し、世界を理解するためのエーテル。故にこれを奪われた生物は思考に餓え、正気を失い他の者を襲う。

  聖者ウルベインはソウルをデーモンに由来する魔性の力と断ずる。そしてデーモンを倒した後はソウルを操る者たちも取り除く必要があるとも。しかしそれは真実ではなく、ソウルは生物に欠かせないもので善悪では括れない。これも強烈な皮肉だ。彼は思考するためのソウルをそうとは知らずに自ら遠ざけている。



  人々を導く立場であるはずのウルベインが思考に必要なソウルを拒絶し、ソウルによって真理に近づこうとする魔術師たちを排除しようとする。ハイエナのパッチに落とされた穴の下でも、彼は暗いソウルを撃退する力を持ちながら戦いを避け、神に祈りを捧げていた。真理に向き合わずただひたすらに祈るその姿勢が獣を神に見せたのだろう。思考を捨てた彼は蒙の中にいる。

  一方で神が古い獣と知っている者もいる。賢者フレーキだ。彼は探求者であり、ソウルの業である魔法を学問体系としてまとめあげた偉大な魔術師。デモンズソウルの世界において要人に次いで最も世界を理解し、真理に近いところにいる。またウルベインたちの信仰する神が何者かなど知らぬほうがよいのだと憐れむ。かつて神職にあった彼には思うところがあるのだろう。
  フレーキは主人公にデモンズソウルを提供するよう持ちかける。デモンズソウルに触れることにより知識を得て、代わりに新たな魔法を授けようというのだ。フレーキはソウルの真実に近づき世界を理解する。彼には賢者とは別の異名があり、それは「(蒙を)拓くもの」。



  ウルベインとは違う道で人々を導くフレーキ。だが彼はデモンズソウルに触れるうちにその業に魅入られ、最も大きなソウルである獣のデモンズソウルを欲するようになる。主人公に対し獣をまどろみに封じるべきではない、そのソウルは王に等しい力を貴公に与えるだろうとそそのかす。
  知の探求のために古い獣のソウルまでも求めるその姿は、遥か昔飽くなき探求のために獣を目覚めさせた古い人たちと重なる。これもソウルがもたらす業なのだろう。古い獣を封じなければ偉大な知識を得たとて世界は濃霧に消失してしまう。拓くものと称されるフレーキもまた気付かぬうちに蒙の中にいたのかもしれない。


  二人を見ているとソウルが単なる力の源というだけではないことがよく分かる。ソウルは世界を理解するためのものだ。この性質は啓蒙に似てはいないだろうか。Bloodborneにおいて啓蒙がどのような役割を持つかはまだ不明だが、その言葉の通りであれば、思考し世界を正しく理解するという点で合致する。黒獣のトレーラーで啓蒙を手に入れたときのエフェクトもソウルそのものだ。
  人間は理性によって世界を正しく理解できるので、古い文化や宗教的観念に囚われずに生きるべきという啓蒙思想。神職を捨て知の探求によって世界の理解を試みるフレーキはこの思想によく馴染む。対してウルベインはこの宗教的観念に囚われている。彼は自ら思考を捨てた。だから獣を神と見紛った。彼は盲目なのだ。

  ヤーナムには目を塞いだ人たちが多くいる。ガスコイン、デュラ、血の医療者、ヤーナムの住人たち。デュラの詳細は不明だが目を塞いでいるのは医療教会や聖堂街の人間ばかりだ。啓蒙は暗きを開くこと。啓蒙が宗教の否定ならば、彼らは蒙の中を彷徨っていることになる。土着の信仰は偏狭を育てた。目を塞いだデザインは信徒の盲信を象徴しているのかもしれない。


※ デモンズソウルのオーラントのセリフにある神は古い獣のことではなく別の存在。この神こそが信徒たちの本来の信仰対象と思われるが、奇跡の発現を神によるものだと信じたためにその姿が獣と混じり、結果として双方を信仰する形となった。信徒が神を信じていることに変わりはない。しかしその獣を生み出したものもまた神であり、神を信仰する彼らに獣を否定することはできないのかもしれない。そして神職を捨て知の探求のためにデモンズソウルを求めるフレーキもまたそれ故に神の束縛から逃れられないのだろう。







◇デーモンの所業

  IGNのストーリートレーラーにあった呪文のような印象的なセリフ。デモンズソウルをプレイした人なら、誰もが一様に同じことを思い浮かべたはずだ。その声色と独特な訛りを感じさせる喋り方は黒衣の火防女によく似ている。
  黒衣の火防女は楔の神殿でデーモンを殺す者の手助けをしている。主人公が望めばソウルを自在に操りデーモンを打ち倒す力に換えてくれるのだ。その様を嘲笑う戦士をよそに主人公は力に満ちていく。


黒衣の火防女は古い獣をまどろみに封じる責務を負っている。「責を負う」と言ったほうがふさわしいのかもしれない。

  Bloodborneのレベルアップは狩人の夢にいる人形がしてくれる。主人公が初めて狩人の夢に訪れたときは動かないただの人形だったが、何か魂のようなものが吹き込まれるのだろうか。


狩人の夢で佇む人形。首のあたりからは何か不穏なものが覗く。

  人形とはいうがその姿と本質は人にとどまるものではないのかもしれない。レベルの上昇には血の遺志を用いる。火防女のそれはデーモンの所業だった。血の遺志を操る人形の力は何を由来とするものなのだろう。狩人はその力を受け入れてしまっていいのだろうか。




◇最後に

  今回の記事は強引で節操がなかったかもしれない。二つの作品のこじつけに終始してはいるが、決してBloodborneをDemon's Souls 2と見立てているわけではない。先日公開されたばかりのローンチトレーラーにあるように、Bloodborneの世界にはまだ見ぬ広がりがある。発売前なのだから当然の話だ。
  記事を書き終えようというところで海外のフラゲ情報が押し寄せてきた。今回が発売前最後の投稿になると思う。気付けばヤーナムに辿り着くまであと10日だ。ソウルシリーズをプレイした誰もが望んだ「記憶を消してもう一度プレイしたい」という想いが近く実現する。何も知らないプレイヤーたちは今、記憶を消した状態にある。そうしてBloodborneの世界に挑むのだ。ブラボーなゲーム日々が始まる。





おまけ



フレーキにデモンズソウルを持っていくと「Bravo!!」と叫んで喜んでくれる。久しぶりにプレイしたらニヤリとしてしまった。